本当に好きなことは肩書きの裏側にあるらしい

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【主婦のナゾ】生活に幸せを求め家族の言葉に傷つく時

「主婦にとって、そもそも生活とは何なのだろうか?」


未婚の時には考えたこともなかった事だ。


結婚して家族と呼ぶようになった血の繋がっていない他人と生きる毎日の暮らしぶりを生活と呼んでいるのか?
子供が加わればさらに複雑だ。

 

「生活」を辞書で調べてみた

・生きて活動すること

・暮らしていくこと

 

「この世界のどこかで生きている」というだけで、すでに生活している事になるようだ。

 

ということは 主婦が関心をもつのは、「この先どんな人生を送りたいか、それが実現可能なのか?」という生活設計の方である。

 

 

「生活設計」を具体的に調べてみたら

 

「生活の安定や向上」「健康づくり」「子供の教育や自立」「家族それぞれの自己実現」「余暇活動」「老後生活の準備」など、色々な課題について考えることらしい。


 

そうか、、、色々な課題があるから複雑になるんだ。

 

ましてや、一緒に生きていこうと決意した人と暮らしているんだ。

真剣にこの先の人生を考えている人ほど、妥協をしたくないから意見がぶつかりあうんだ。

 


独身時代は、世の中に自分という存在を表現していくことに一生懸命になり、仕事、恋愛にエネルギーを注いだ。

 

運良く恋愛が成就し、結婚という形を取る時には「この世界中で1番好きな女性はあなたです!」と、異性に認められた喜びでいっぱいになり、まるでオリンピックで金メダルでも取ったかのように気持ちが華やぐ瞬間が訪れる。

 

自分という存在を誰かに認められるというのは、かえがたい幸せを感じられるようだ。


しかし、人間の存在価値は他者に認められる事でしか満足できないのであろうか?

 


ナゾが深まる。

 


仕事で評価を得たり、誰かの役に立っていると思える瞬間も、存在価値が多いに感じられる。

 

もしも、「仕事」「恋愛」「誰かの役に立つ」という所から離れた場所に自分の身を置いたら人間はどうなってしまうのか?

 

病気で致しかたなくその場所に身を置くのではなく、マズマズの健康体を持っていながらの場合に限定して考えたい。

 

 


人の心理は複雑だと思っている人は、物事を深く考えて何事にもしっかり準備して対応する習慣があるだろう。

 

日頃おおざっぱに物事を考えるタイプの人ならば、その逆になる。

 

 

物事を深く考えていない人に出会うと、考え方の浅さに一瞬いら立ちを覚えるが、おおざっぱな人にはフットワークの軽さと自由を感じる。

 

 

どちらが善でどちらが悪かの問題ではない。

 

 

育った環境や性質の違いで、それぞれの考え方に違いが出るだけのことだ。

 


だから、自分以外の人間の考え方に傷つくのはおかしいのかもしれない。

 

 

 

 

そうだとしたら、他人の考え方に接する時は、喜んだり学んだりする部分だけに集中すればいいのではないだろうか?

 

傷付いたとしても、それが自分にとって学びにつながっている内容ならば、それは近い未来で喜びに変化する材料として受け止めればいい。

 

 


そう思ったら少しこわくなくなった。

 

 


こわいと思う事が多くあると外部と接触しづらくなる。

 

 

人生後半戦、少し勇気を持てたらいいのにと思う自分がここにいる。